京東肉餅(jing1dong1 rou4bing3)
【ところ:潘家園/ねだん:16元】
美食家で知られたCCTVプロデューサーが「北京随一」と言う噂の肉餅の店。
骨董市で有名な潘家園の近くにある。
庶民的な店構えで拍子抜けするほど小さい。
でも大変な人気店で、
ご飯時を少し外した午後2時前に行ったのに席待ちのお客さんがいた。
北京名物(?)腹出し君を見ながら20分ほど待って、
ようやく席が空いた。
ぶらりと立ち寄るには3時すぎくらいじゃないとだめかも。
さて、肉餅はミートパイというとちょっと違うかもしれないけど、
生地と餡の層がいくつもできるのがパイっぽいのと
ほかにどう呼んでいいか分からないので苦肉の策でこういう名前にしてみた。
普段はそのまま「肉餅(ロウビン)」と呼んでいる。
小麦粉生地に葱などの薬味を入れた牛肉(羊肉)の餡をのせ、
何度か折りたたんで扇のような形にして焼いてある。
(ここのは折りたたまずに大きな円状のものを作って、
焼きあがってから扇形に切ってあるのかな?)
肉餡たっぷりでどっしり重量感あり。
食べてももちろんおなかにずっしりたまる満腹度の高い粉ものだ。
京東は北京の東部という意味で、
京東がつくのは北京の東部が発祥だからだそうだ。
前菜やちょっとした炒めものをつまみながら肉餅が来るのを待つ。
拍黄瓜(pai1 huang2gua1):12元
叩きキュウリの和えもの
葱拌豆腐(cong1ban4 dou4fu):6元
葱奴
煮花生米(zhu3 hua1sheng1mi3):6元
ゆで落花生
醋溜土豆絲(cu4liu1 tu3dou4si1):10元
細切りジャガイモのお酢炒め
そしていよいよ、真打登場!
重量感たっぷりの「肉餅の山」みたいなお姿に、思わずニンマリ。
こりゃあ食べでがありそうだのう。
ふぉっふぉっふぉっ。
生地は烙餅みたいにしっかりしてはおらず、
くったりてろりんとした腰のないやわらかい質感。
餡のたっぷりさからすると少々頼りないくらいだ。
その薄い生地に挟まれた肉餡は肉汁たっぷり。
味付けもしっかりだが、葱のおかげかそれほどしつこくない。
黒酢や辣椒油をかけるのがオススメ。
こうすると食べ口がさっぱりする。
ああ、テーブルにどっしり重量級の肉餅のある風景。
幸せ……
◆お店情報
華威肉餅
朝陽区松榆西里16号楼西側
010-6731-2996
<アクセス>
東三環路の潘家園橋から東へ500mほど行ったところ、道の南側にあります。
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以前これとよく似た肉餅を出す店が北京で住んでいた家の近くにありました。残念ながら閉店してしまったそうですが。ここから西にずーーーっと行った場所で、天橋劇場まで徒歩10分くらいのところです。仕事仲間で、中央アジアのトルクメニスタン出身の人が目ざとく見つけて2人で入って食べたのです。そのトルクメニスタンの仕事仲間は「これは中央アジアのリピョーシカと同じだ。オセチアにもこれと同じような食べ物がある」と言っていて、お店の人にはカザフ語が通じたので、新疆のものだと思い込んでいました。(たぶんお店の人はカザフ族。お店の人にカザフ語で話しかけたのはその仕事仲間)一方、私は「ロシアのブリンチキ・ス・ミヤサムに似てるなぁ」という感想。
回族と言われるようになった人たちのご先祖さんたち、あるいはチュルク系の民族が北京に伝えたのか、あるいは、中央アジア、オセチア、ロシアの京東肉餅に似た食べ物は餃子と同じで北京からもたらされたのでしょうか。
でも、よく考えてみたら、このような「薄餅」的な食べ物は世界中どこにでもありますか・・・。笑
京東肉餅は北京の東部にある三河、大廠一帯が発祥と言われています。
明初永楽年間に宮廷料理になったとか、楊という人(現在は回族自治県になっている場所に住んでいたということなので、おそらく回族)が1770年に作り出し、清の乾隆帝が絶賛してから北京で大人気になったといった説が伝えられていますが、真偽のほどは分かりません。
中国から中央アジア方面に伝わったのか、それともその逆か、はたまた自然発生的に各地で食べられるようになったのでしょうか……